死と自己採点について

人は死ぬ時に、人生の自己採点をすると思う。自分の人生はどうだったか、よく出来ただろうか。人生を試験と対比させながら、死ぬ時に良い点数を取るためにはどのように生きればよいか考察する。

2月は受験シーズンである。

僕はIT業界でPMの仕事をやっている。開発メンバの一人から、子供の高校受験が終わるまで、テレワークにしたいと申し出があった。子供への感染リスクを減らすためである。僕は「はい、どうぞ。仕事より受験のほうが大事です。」と回答した。

受験のことを考えていたら、死についてあるイメージが湧いてきた。イメージが残っているうちに、言語化しておこうと思う。

死も深淵なテーマであり、その全容ではなく、一部についての考察である。

物に光を当てると、光の反射により、目で物を見ることができる。

自己採点という視点から、死について、そして生について考えてみたい。

1.生と死は表裏一体

生と死は表裏一体である。切っても切れない関係がある。

僕はよく死について考える。死に興味があるわけではない。生きることに興味がある。生についてよく考えていくと、死についても考えるようになる。

別の記事「人生の山登り 本編」でも、死のことも少し書こうと思ったが、長くなるのでやめておいた。生について考えていくと、死の問題も見えてくる。

この記事では逆に、死の問題を考えることで、生の問題を考えようと思う。

2.死と自己採点

人生を試験に例えてみる。

「試験始め」の合図で人生がスタートする。

人生には色んな問題が登場する。5教科以外からも出題される。

「試験終わり」の合図で人生が終了する。死である。

試験には試験時間がある。人生にも試験時間がある。寿命である。

死が、人生の時間軸における期限であることは、別の記事「死と期限について」に記載した。

試験終了の際に何が起きるか。

1つは時間が終わる。期限がくる。

もう1つは、結果が出る。自己採点する。

試験が終了したときに何を思うか。たいていの人は、「試験がよく出来たか、ダメだったか」、「そこそこ出来たか」、「何点くらい取れたか」など自己採点をすると思う。

僕も、試験終了時に、感触で自己採点をしていたが、大体は当たっていた。

80点か83点かなど、細かな誤差は当然あると思うが、大体90点位か、大体80点位か、完璧に解いたので満点(又はケアレスで1問間違い程度)か、位は分かると思う。

人生が終了するときに何を思うか。僕は人生の自己採点をすることになると思っている。

3.人生の自己採点でよい点数をとるために

いい死に方をしたい。

自己採点がよいほうが、自分なりに満足できる点数のほうがよい。

そうなると、「よい点数を取るには、どう生きたらよいか」、死の問題が、生の問題となる。

試験の点数は、試験中に自分がどれだけ頑張ったか、どの問題を選択したか、どれだけ実力を出せたか等で、決まる。

どの問題を選択したかも重要である。出来る問題があるのに、出来ない問題に時間を割いてしまっていたら、よい結果は出ない。

どれだけ実力を出せたかも大事である。体調などのコンディションや、本番でどれだけ自分の力を集中できるかも重要である。

3.1.採点する人は誰か

採点する人は、自分である。

死ぬときは、一人である。

自分以外に採点できる人はいない。

これは、当たり前のようではあるが、よく認識できていない人も多い。

自分の採点より、他人の採点を気にする人は多い。

承認欲求は根深いから、意図的に自己採点を意識しておかないと、ついつい他人の評価ばかりが気になってしまう。自分の点数が後回しになる。

他人の評価を気にするより、自分の点数を上げることを、考えたほうがよいと思う。

でも、これが以外と難しいかもしれない。

サラリーマンなら上司の評価で会社での立場や給料が決まってしまう。

日本社会には、根深い同調圧力もある。良くも悪くも、他人の目を気にする文化だ。

承認要求は根が深い。「いいね」の数で一喜一憂する人も多い。

死の際には、自分が採点することを、よく認識しておいたほうがよいと思う。

3.2.採点基準

採点基準や配点は、各自、自分の人生で考えるしかない。

何に重きをおくか、何に配点を高く設定するか、人それぞれ、色んな考えがある。

自分が死ぬときに、「何をすれば、どう生きれば、満足するか」「自分からよく出来ましたがもらえるか」、そういう視点で考えればよいと思う。

答えは出ないかもしれないし、正解も1つでないかもしれない。そういう視点で考えること自体に意味がありそうな気もする。何も考えずに、死を向かえるよりいい。

参考までに、僕はこう考えている。

別の記事「人生の山登り 本編」の最後に続きで書こうと思っていた。

「自分に出来ることをやり切ること」「自分の特徴から、自分の使命と思うことを、自分の大きさでやり切ること」「自分の山を登れる所まで登って、その景色を眺めること」

と考えている。

試験でいうと、「己の実力を出し切れたか」ということになる。

物事を以下の①~④の4つのパターンに分けた場合、③と④は問題とならない。②は仕方ないと諦めがつくし、自分の使命でもない。隣の芝で青く見えるが、他の人の使命だからほっておけばいい。試験でいうと、「出来ない問題に時間をかけて、出来る問題をやらずに終わる」パターンである。

自分の使命や採点基準は①の中にヒントがある。

《物事の4つのパターン

①やりたいことで、できること

②やりたいけど、できないこと

③できるけど、やりたくないこと

④できないし、やりたくもないこと

――ここまで》

僕は、自分の使命を出来ることをやり遂げた人は、満足して安らかに死ねると考えている。自分から「よく出来ました」がもらえると思う。

以上。