死と期限について

僕はIT業界でプロジェクトマネージャの仕事をやっている。PMとしては10年くらいのキャリアだ。IT業界には23年以上いる。最初はプログラマーからスタートして、システム設計や要件定義などの上流工程を経験し、10年ほど前にPMに就任した。

PMの仕事はQ(品質)、C(コスト)、D(納期)を確保するためにプロジェクトを推進する役目で、プロジェクトでは監督のような立場だ。そして納期を守るためにプロジェクトの進捗管理も行う。各タスクの期限は常に意識する。そこで期限について考えてみた。

期限を意識すると時間が有限であることを意識する。

僕は自分の仕事を進める時、かならず期限を区切る。

この作業は何時までに終わらせよう、この打合わせは30分で終わらせよう、この仕事は何日までに完了させる必要があるかなど、必ず期限と到達点(ゴール)を決めてから作業をする。基本的なことだが、大事なことだと思っている。

期限を決めないとどういう弊害があるか、例えば以下のようなことがあると思う。

・ダラダラと作業してしまい仕事の質が落ちる。

・無駄に長い打ち合わせとなるが、結果がでない。

・決定事項や課題を先延ばしにする。後回しにする。

だから、僕は期限を区切ることは大事なことと思っている。そしてそれは、その作業をできる時間が有限で、時間が無限に与えられているわけではないことを認識することでもある。

期限を意識するようになると、時間が有限であることを意識するようになる。

時間が有限であることを意識するようになると、時間を有効に使いたいと思うようになる。

死は人生の期限

僕は哲学が子供の頃から好きで、時々、人生について考えることがある。

死は哲学や宗教でもよく扱われるテーマと思うが、死を人生の時間軸で考えた場合、死が人生の期限になると思う。

人が死ぬ存在だと意識するほど、人生の時間が有限であること意識する。

人生の時間が有限であることを意識するほど、時間を大事に使いたいと考える。

人生に残された時間は多くはないかもしれない。人はいつ死ぬか分からない。明日死ぬかもしれない。

人生の時間が有限であることなど、小学生でも知っている事実だが、それをどれだけ深く意識しているかは、人それぞれだと思う。

人生の期限をよく意識する人のほうが、今を有効に大事に生きようとするのではないか

僕もそうだが、治安のいい日本で、自分が死ぬ存在であることを忘れている人が多いと思う。明日も来年も10年後も、生きていることが当たり前のように思っているのではないか。その前提で、老後のために、将来のために、今を犠牲にしているところもあると思う。

確かにある程度の老後や将来の準備も必要と思うが、最も重要なのは今、であると僕は思う。

過去の後悔や、未来の想像不安に時間を使わず、今を生きよ、ということは古今東西の多くの思想家が提案していることでもある。

死を意識したほうが、人生の時間を有効活用できる

そのため、死を意識すると、人生の時間を有効に、自分がやりたいことに使おうという気になってくる。仕事や生活もあり、好きなことだけで生きていけないということも事実かもしれないが、人が仕事で使う時間は、印象ほど多くはない。

過労死ラインの月80時間の残業をしてたとしても、仕事に使う時間は月240時間程度。睡眠時間8時間を除いた16時間を1日の活動時間とすると、1カ月30日計算で480時間の活動時間がある。過労死ラインでも仕事に使う時間はその半分くらい。

ほとんどの人は月80時間も残業しないから、仕事時間4割、個人時間6割くらいの人が多いと思う。

ほとんどの人は仕事時間より個人時間のほうが多い。ただし個人時間に仕事のことを考えないこと、ON/OFFを切り替えるが前提である。考えると、頭の中で個人時間が仕事時間に入れ替わり、割合が崩れる。

つまりは、自分の個人時間は以外と沢山あり、少なく感じるのは無駄にしている時間が多いだけなのかもしれない。

またやりたいことは、先延ばしにせずに、できるときにやっておいたほうがよいという考えにもなってくる。

例えば、海外旅行なども、行きたい人は、行ける機会があるときに行ったほうがよいと思う。年を取ってもし足腰などが悪くなってしまったら、長時間のフライトはしんどくなるかもしれない。

好きなものから食べる人と、最後にとっておく人がいると思うが、人生ではやってみたいことは後にとっておかず、やれるときに体験したほうがよいと思う。

以上、終わり。