台湾旅行1回目 台北

2010年に1回目の台湾旅行をした。その時の旅行記を記載する。

台湾は日本人が旅行しやすい海外旅行先である。沖縄のすぐ先にあり、東京から約4時間くらいのフライトで行ける。治安もよく日本語も通じやすい。

地下鉄や新幹線などの移動手段も充実している。親日国であり人々も親切だ。

台北

台湾の第一の都市であり中心地である。まず最初に旅行するには定番でありお勧めでもある。 2010年の台湾旅行は台北市を観光した。

故宮博物院

まずは故宮博物院に行った。世界4大博物館の1つである。中国歴代王朝の歴史的に価値の高い収蔵物などを展示している。展示数も多く見ごたえは十分だ。

故宮博物院

台北101

台北にある高さが約500m位のビルであり、観光スポットでもある。展望台から台北の街を一望できる。

台北101

行天宮

その後、台湾で有名な廟(日本では神社や寺に相当する)である行天宮に行った。三国志で有名な「関羽」が奉られている。関羽は三国志の武将で、僕が好きな武将でもある。

台北の廟

関羽は文武に優れ、仁義に熱く、弱き者には優しい。力を持つ者の鏡のような存在だ。

僕は歴史書が好きで、三国志については高校生の頃に文庫の三国志を全巻読んだ。超大作でボリュームはあるが、時間を忘れて読みふけった記憶がある。関羽は天才軍師である諸葛孔明の次に僕が好きな武将である。

そんなこんなで、「関羽」が 奉られている 行天宮に行った。

この後、悲劇が訪れる。

ホテルで急にお腹が痛くなる

この後、悲劇が起きる。ホテルに帰った後に、急にお腹が痛くなり、激痛に襲われる。かなりの腹痛。異国の地で緊急事態だ。どうしよう? とりあえず、ホテルのフロントに窮状を訴えて、近くの病院を紹介してもらった。地図を頼りに、激痛をこらえながら歩いて病院にいった。

病院で診察を受けた僕は、医者や看護婦に「大きな病院で検査を受けたほうがよい」と言われた。そして親切にもその台湾の小さい病院は、僕に近くの大きな病院を紹介してくれた。そしてホテルの人にも中国語で電話をして、緊急のサポートを依頼してくれた。親切な現地の人々のお陰で、僕はとりあえずホテル近くの大病院に行くことが出来た。

病院に空きベットがなく、救急車でグループ病院へ移動した

ホテル近くの大病院に行き診察を受けた結果、「急性胃腸炎」と診断された。しばらく安静が必要で入院を勧められたが、その病院には空きベットがないという。台北でなく淡水にあるグループ病院への入院を勧められた。僕は医者の提案に従った。

救急車で台北から淡水の病院に移送された。

人生で初の救急車である。救急車の特権で信号待ちがなく40分ほどで淡水の病院に到着した。けっこう大きな病院であった。外国人を扱う国際病棟があり、そこに入院した。これまでの状況を時系列で整理すると、以下のような感じである。

入院までの経緯

16時頃 ホテルの部屋で急にお腹が痛くなる。激痛である。

16時半頃 今まで経験のない、いやな汗も出始め、ちょっとやばいと感じる。

17時頃 ホテルのフロントに相談し、近くの小さい病院を紹介してもらう。

17時半頃 痛みをこらえて紹介された病院に歩いて移動。最初の診察。

18時頃 小さい病院で対処できそうにないとのことで、近くの大病院を紹介される。

19時頃 大病院で急性胃腸炎と診断され、絶対安静が必要で入院を勧められる。ただし、台北の病院には空ベットがなく、淡水にあるグループの病院を紹介される。

19時頃⇒20時頃 救急車で台北⇒淡水の病院に移動。

20時半頃 病院のベットにたどり着く。ここに着くまでが大変であった。入院してしまえば、医者がなんとかしてくれるだろう。ようやく安心した。

二泊三日の入院生活

ということで、台湾の病院に入院することになった。人生初の入院である。

僕は体力や健康には恵まれているほうで、病院とも無縁で、入院などしたことがなかった。異国の台湾で初めて入院生活や医療従事者の活動を知ることになる。

急性胃腸炎となると食事は無理なので、点滴を受けながらベットで安静にすることになった。急性胃腸炎は本当に激痛を伴う。ただし、ピークはだいたい1日程度で安静にしているとだんだん収まっていく。治療薬はない。安静にしているしかない。その間、食事はできないので、点滴で栄養補給する。

僕には看護婦さんが3人付いてくれた。皆、若い女性であった。

僕のような緊急入院では、病院は24時間介護してくれる。看護、医療は大変な職業だ。看護婦さんは3交代制で、朝番、昼番、夜番と8時間で交代する。

僕への看護婦さんの仕事は、検温、問診、点滴の交換、飲み水の交換(部活みたいなヤカンだった)等であったが、テキパキと仕事をこなしていた。時々、僕を気遣う言葉もかけてくれた。国際病棟なので簡易な英語が通じる。ちょっとした会話もできた。

台湾の病院は設備も整っていて、医療従事者も親切であり、とても居心地がよかった。

入院2日目の朝を向かた。前日の騒動は嘘のように落ち着いた。

しかし、現実を考えてみると、

そうだ、今日は帰国する予定の日であった。

帰国する予定の前日に、僕は絶対安静の状況で台湾の病院に入院していた。

とても帰国できる状況ではない。とりあえず台北のホテルの滞在期間を延長した。

僕が台北で滞在していたホテルは、サンルート台北というホテルで大変にお世話になった。言葉が通じない僕に代わり、入院の手続きを行い、入院中も見舞いに来てくれた。ホテルに置いたままの僕の荷物を、わざわざ淡水の病院まで持ってきてくれたりした。

その荷物の中に村上春樹の本があった。暇な時間が多い入院生活の僕のお供となった。

しかし、次のことにも気づく。

明日は仕事をする予定であった。僕が主催の打合わせもある。

僕は会社に連絡し、事情を説明した。今回の旅行はGWや夏季休暇などの長期休暇でなく、公休を取って4泊5日の予定であった。今日がその5日目である。当然明日は仕事がある。

僕は会社の人に海外旅行に行くことすら事前に連絡していなかった。台湾だし、国内旅行と同じくらいの感覚で気軽に来ていたのだ。

最低限の連絡を済ませた後、僕は約2日間ほどの間、ベットに横たわっていた。暇である。食事も取れない。ようやく食事をしたのは3日目の朝で、ゼリーみたいな流動食であった。やることは中国語のTVを見るか、村上春樹の本を読むか、考え事をするか、の3つくらいである。活動していないので、夜もあまり眠くならない。とにかく時間が長い。何を考えたか覚えていないが、ぼんやりと考え事もしていたと思う。

入院3日目に無事退院でき、電車などで淡水から台北にあるホテルに戻った。

入院時は救急車で来たので分からなかったが、退院後に眺めた淡水の風景はとても美しかった。海や川の景色がとても綺麗だ。後で調べてみると、淡水は台湾のベネチアと呼ばれるほど美しい街ということである。

そして帰国へ

台北のホテルに戻ってから、帰国の準備を進めた。

元々は4泊5日の旅行の予定であったが、結局のところ7泊8日の台湾滞在となった。1週間も台湾にいたのだ。

航空券も取り直さないといけない。とりあえずホテルの人に台湾のJTBを紹介してもらい、バイク便でチケットをホテルに届けてもらった。

ホテルサンルート台北の人にお礼を言った後に、僕は日本に帰国した。

1回目の台湾旅行が終わる。

以上。