時間について 普遍的時間軸と社会的時間軸

時間について普遍的時間軸と社会的時間軸という概念を導入し、普遍的時間軸を意識することで、虚無感を減らして幸福度を増やすことを記載する。

時間とは何か。

人生において重要なテーマである。哲学的にも興味深いテーマである。

「時は金なり」という言葉もある。僕は「時は金以上」と考えている。

なので、時間は書きたい存在である。

時間について、あるイメージがあり言語化したいと思う。

ただ、時間のイメージは、言語化が少し難しくてちょっと分かりずらい記載もあるかもしれない。

時間というのは深淵な存在であり、その全容を言語化することは、たぶん不可能である。その一部について、言語化してみようと思う。

物に光を当てると、光の反射により、目で物を見ることができる。

普遍的時間軸と社会的時間軸という概念を導入し、それらを光の役割にして考察する。

1.時間の非同一性

同じ空間、同じ時間を過ごした二人の人物がいたと仮定する。

二人が過ごした時間は同じであるだろうか。

僕は異なると考える。

一人の人物が、同じ時間を二回過ごしたとする。

二回の時間は同じであるだろうか。

僕は違うと考える。

人間は、同じ環境を与えられても、違う時間を過ごしている。

過ごす時間の内容も違えば、密度も速度も違う。

1時間は同じ1時間ではない。時間は絶対値でなく、同じ時間に千差万別の時間が存在する。その人、その人の人格により、千差万別の時間が存在する。

2.普遍的時間軸と社会的時間軸

普遍的時間軸と社会的時間軸という概念を導入する。

2.1.普遍的時間軸

普遍的時間軸とは、時代や社会制度に関係のない普遍的な価値観で生きている時間と定義する。例えば、以下のようなものである。

《普遍的価値観の例

  知性、愛、書物、文化、芸術、学問、運動、自然、健康、ゲーテの詩など

――ここまで例》

青い空や雲を見て自然を感じている時間や、学問や芸術に親しんでいる時間などは、普遍的時間軸で生きている。

江戸時代の空も、現代の空も、空の美しさは、今も昔も変わらない。

音楽を楽しんだり、恋愛したり、学問をしたり、スポーツすることも、今も昔も変わらない。

普遍性があるということは、価値があるからこそ、普遍的に存続している面もあり、人間が価値を感じ続けてきたことの証でもある。

つまり、普遍的時間軸で生きている時間は、人が価値を充実感を感じやすいと考えられる。

ゲーテの詩の中で、最も好きな言葉がある。ここで紹介したい。

《参考文献(ゲーテの詩。『西東詩集』の一節)

民も奴隷も征服者もみなが言う。
地上の子らの最高の幸福は人格だけであると。
自分自身を失わなければどんな生活を送るもよい。
自分自身でさえあれば何を失ってもよい。

――ここまで参考文献》

2.2.社会的時間軸

社会的時間軸とは、現代の社会システムの中で、社会的に生存するための時間と定義する。

《社会的時間軸の例

・生活のための労働

・社会的な立場や役割や肩書など

・資本主義歯車としての生産と消費

・とりあえず常識。

 現代の常識は未来の非常識になることが多い。つまり、常識が正しいのは期間限定で一過性であることが多い。僕は常識を参考程度にしか考えていない。

・とりあえず多数派

 自分自身に従わず、世間に従う。自分の使命でなく、世間的評価における成功(いわゆる勝ち組等)を目指している時間など。

――ここまで例》

人間には普遍的な要素と社会的な要素がある。社会で生きていくためには、社会性や社会で生きていくためのスキルを身に着けることも重要である。

社会的時間軸で生きることは生存するために必要である。これは否定しない。

しかし、社会的時間軸で求められることは、現代の社会システムの中で、よく生きるため、よい生活をするためのものであり、普遍的によく生きることと必ずしも一致しない。このギャップが、社会で求められていることをしているつもりが、何か充実しなかったり、何かおかしいと心の納得感がなかったり、虚無感や幸福度の低下を産んではいないかと、そう感じている。

例えば、一生懸命に身を粉にして働いているのに、なぜか充足感も達成感もない。長時間労働し疲弊しているだけである。何かがおかしい。

例えば、GDPを増やすために、沢山生産して沢山消費する。でも幸福度は上がらない。そもそも、そんなに沢山生産する必要があるのだろうか。そのために身を粉にして労働する価値があるのだろうか。何だか変だ。GDPを増やすことは、国を豊かにすることと聞いてる。だが本当にそうだろうか。このままでよいのだろうか。

現代の社会システムは、すべてが理想的になっているわけではない。おかしなことなど沢山ある。だから、社会的要求だけを一方的に正として見てしまうと、このような虚無感に陥ってしまう可能性がある。

そういった視点の偏りを防止するために、普遍的時間軸と社会的時間軸という2つの概念を提案する。

3.普遍的時間軸と社会的時間軸のバランス

「人はパンのみにて生きるにあらず」。どこかで聞いたことがある言葉である。

この言葉はポリシー的なもので、具体的な方法までは示していない。

本記事では、具体的な方法を1つ提案しようと思う。

一方で、「人はパンがないと生きていけない」。生存しないといけない。

結局は、バランスの問題に行き着く。

普遍的時間軸と社会的時間軸をバランスで考えてみる。

どちらに偏りやすいかという点では、社会的時間軸にいつのまにか偏る傾向があると考える。

社会的時間軸は、特に何も意識していなくても、社会が次から次へと要求してくる。

会社があれをやれこれをやれと要求してくる。上司から次々指示が飛んでくる仕事を振られる。来週には期末試験があるから、そろそろ試験勉強を始めないといけない。商品を購入させようと、テレビ、ユーチューブ、ブログなど、資本主義の一部となった広告が次々やってくる。

何も考えていないと、概ね社会的時間軸にどっぷり浸かって生きることになると思う。

一方で、普遍的時間軸は、意識していないと忘れがちである。

時々思い出して、普遍的時間軸で生きる時間を持ち、バランスを整えたほうがよいのではないかというのが、著者の提案である。

また、社会的時間軸において社会的に負け組のような状況でも、普遍的時間軸で生きることは残されていることも主張しておきたい。独身だからとか、管理職でないからとか、年収が平均より低いとか、学歴が低いとか、そういった世間的な比較で、負い目がもしあれば、それらは本人が気にしなければよいだけの話である。現実に関わるのは、お金くらいのものである。社会的な地位は、普遍的時間軸においては重要な要素とならない。

4.普遍的時間軸と社会的時間軸の切り替え方法

4.1.意識のリモコンチャンネル

意識のチャンネルを、向きを変えると、時間軸が切り替わる。TVのリモコンチャンネルのように、意識のリモコンチャンネルを変える。

意識が普遍的価値に向いているときは、普遍的時間軸に切り替わる。行為自体というより、何に意識を向けているかで時間軸が切り替わる。

例えば、松下幸之助のように、人の幸せや理念のために、社会に貢献するために、そういった意識のチャンネルに合わせて仕事をしていれば、普遍的時間軸を生きていることになる。

単に売り上げや営業成績やノルマを達成することに意識のチャンネルが合っていれば、社会的時間軸を生きていることになる。会社を存続させるために、社員やその家族を養うためにノルマを達成することも大事である。ただ、充足感はあまりないかもしれない。

もう一つ、例を挙げる。

例えば、家や仕事の掃除でも、単なる義務として行うのか、禅僧が修行の1つとして寺を掃除する時のような意識で行うかで、同じ掃除という行為でも、その時間は変わってくる。禅僧が行う掃除のほうが、普遍性があるように思える。

つまり、行為そのものというより、どこに意識が向いているか、意識のチャンネルがどこに繋がっているかで、時間軸が切り替わる。違う時間になると考える。

4.2.子供心に戻る

子供の心というのは、社会の常識も先入観も義務感もない。

子供の頃を思い出すと、多くの人が普遍的時間軸の中で生きていたと思う。

大人になるにつれて、だんだん子供心を失っていく。

子供心というのは侮れない。哲学者のニーチェは、創造的になるには子供に帰れと言っている。超人を目指して高く険しい道を歩めと言っている哲人が、一方で子供に帰れと言っている。

創造的になるには、いったん常識を忘れたほうがよい。

普遍的になるにも、いったん現代社会システムの常識や先入観や義務感を忘れたほうがよい。

現代の子供も江戸時代の子供も、資本主義社会の子供も社会主義社会の子供も、見えているものは変わらない。それが普遍的という意味でもある。

子供から大人に変わるのでなく、子供心を持ったまま大人のスキルを身に着けたほうがよいと考える。

5.時間の貴重度と人生の充実度

時間の貴重度と人生の充実度は比例する。

充実しているほど、1分1秒が貴重になる。

これは誰にでも経験があると思う。僕の経験でもそうである。

どれだけ時間を大事にしているかは、人生の充実度を測る物差しになる。

幸福度の指標の1つにしてもよいかもしれない。

以上。

投稿者: おか

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