承認欲求から解放され、自分の価値を感じるためにはどうすればよいか考えた。人の価値は承認欲求では解決しない。別のアプローチを提案する。ゲーテとアインシュタインが答えを教えてくれた。
1.承認欲求の根源にあるもの
この問題を考えるきっかけとなったのは、承認欲求である。
僕は承認欲求を断ち切りたいと、ずっと考えていた。
なぜなら、他人からの承認を欲しがるほど、他人の人生を生きることになり、本来、自分が進むべき道から外れてしまうからだ。僕は自分自身に従い、自分の道を歩みたかった。ゲーテの人格の詩にあるように、自分自身でいたかった。
《参考文献(ゲーテの人格の詩)
民も奴隷も征服者もみなが言う。
地上の子らの最高の幸福は人格だけであると。
自分自身を失わなければどんな生活を送るもよい。
自分自身でさえあれば何を失ってもよい。
――ここまで参考文献》
また、承認欲求に捕らわれると、「心の自由」を失う。要するに他人の目が気になり、世間の目の奴隷となり、「精神の自由」を失う。これも本位ではない。
一方で承認欲求というのは根が深い。根源的な欲求でもあり、なかなか断ち切れない。なかなか手ごわい相手である。でもなんとか出来ないか、ずっと考えていた。
たどり着いたのが、「人の価値」である。
そもそも、なぜそんなに認めてもらいたいのか。その根源にあるものは何か。
僕の答えは、「自分の存在価値を確認したい」からである。
そして、自分の価値を十分に感じていないからこそ、他人からの承認により、その不足分を補おうとしているのではないか。そう考えた。
つまり、自分の価値を十分に感じることができれば、承認欲求から解放される。人の価値とは何かを考えようと思った。
2.マザー・テレサの言葉
この問題「人の価値とは何か」は、多くの人が悩み、考えてきた。
「人の価値」を考えた時、マザー・テレサの言葉が思い浮ぶ。ここで紹介したい。
《参考文献(マザー・テレサの言葉。ネットで検索)
・この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。自分が誰からも必要とされないと感じることです。
・人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない。自分はこの世に不要な人間なのだと思い込むことだ。
――ここまで参考文献》
マザー・テレサによると、人が自分に価値を感じるか否かは、貧困や病気以上に、重要な問題だと言っている気がする。僕はそう解釈し、その意見に賛同する。
人の価値とは、自分の価値とは、人生の軸にもなる大事なテーマである。
しかし現代は、人が自分の価値を感じていないのではないか、そういう疑念を抱いてしまう出来事によく遭遇する。SNSの批判で自殺する人がいる(他人からの承認がそんなにも必要なのだろうか)。社畜となり健康を犠牲にしてまで、会社に認められたいサラリーマンがいる。
人の価値について、考えてみようと思った。
3.人の価値について
人の価値についての僕の考えを示す。
まず、人の価値は二階建てである。年金みたいな感じだ。
二階建てにしないと、うまく説明できない。
3.1.一階 基礎的価値
一階は基礎的な価値である。
人であれば誰でも持っている価値である。個人差もなく平等である。ベーシックインカム的なものある。
人の細胞は約60兆個あると言われている。水の惑星が存在し、生命が存在すること自体が奇跡である。その生命の中で、人類は知性や言葉を持ち、食物連鎖の頂点にいる。
地球には46億年の歴史があり、長い進化の過程を経て、人類が誕生した。
今生きている人は、歴史の最前線を人類の一員として生きている。
今、人と生きているということだけで、結構すごいこと、価値があることではないかという考え方である。
「生きているだけで丸儲け」といったタレントがいた。
「人身は受け難し」と仏教でも教えている。
そういうことである。
この考え方は、生きている人すべてが持っている価値である。人の価値のベーシックであり、一階部分である。
3.2.二階 個人的価値
生きているだけで価値がある。では空気でも吸っていれば、それで満足か。そうはならない。そこで二階がある。人は自分だけの価値を持ち、それを感じたいと願う。どうすれば出来るだろうか。
3.2.1.承認欲求の先にそれはない
単純に求めてしまいがちなのが、承認欲求である。
他人に自分の価値を認めてもらうことで、自分の個人的価値を感じようというのである。この方向は不確実であり、努力が空回りして、ほしい結果が得られないことが多い。
例えば、サラリーマンでいうと
「こんなに頑張っているのに、なぜ会社や上司は私を認めてくれないのか」
と不満だけが残り、空回りする。
他人や世間の目などは、不確実で気まぐれなものである。
例えば、SNSでいうと
「SNSに痛烈な批判が書き込まれていた」
自分や記事に価値がないのではなく、単に批判を書いた人の機嫌が悪かっただけかもしれない。
このように、承認欲求にそれを求めるのは、空回りが多い。得策でない気がする。
次に僕がたどり着いた考え方を示す。
3.2.2.世の中に価値を与える
世の中に価値を与えることである。
ゲーテやアインシュタインが、答えを教えてくれている。流石は人類きっての賢者である。的を得ている。
ゲーテの言葉を知った時、得心があった。確かにそうだ、その順番だ。自分が提供するほうが先だ。もらうのは後でいい。
その後、アインシュタインの言葉を知った。ゲーテと同じことを言っていると思った。数学的に言うと等価である。
《参考文献
1.ゲーテの言葉
「君の値打ちを楽しもうと思ったら、君は世の中に価値を与えなければならない。」
2.アインシュタインの言葉
「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。」
--参考文献ここまで》
承認されようと頑張るのでなく、自分が世の中に価値を与えること、価値を自分が生産することを考えたほうがよい。自分の価値は、後から実感として返ってくる。
価値の対象は、仕事でもいいし、仕事以外でもいいと思う。
価値の生産とは、物であってもいいし、サービスであってもいいし、美でもいいし、言葉でもいいし、スマイルでもいいし、物を運ぶとかでも、なんでもいいと思う。
自分が出来ることや得意なことで、人や世の中のためになることを価値を生産すればいい。自分が世の中に与えた価値の大きさの分だけ、自分の価値を実感できる。
僕の場合は、ペン(電子書籍やブログ)でそれをやりたいと考えている。
何をしたらよいかは、各自、自分と相談すればよいと思う。
以上。