僕は10年近く趣味で株をやっているから、お金や経済の本はよく読む。また自分で考えもする。僕の見方を紹介する。
題名の問いの答え
最初に結論を言おう。モノやサービスと交換するためにお金を払った時に、自分のお金を払ったと思うか。僕は思わないのである。順を追って説明しよう。
モノやサービスの価値と値段との比較
モノやサービスの価値と値段との比較を皆さんはしますか。
例えば、モノやサービスの価値と値段とを比べ、値段が高い、安いかなど。
数式にすると、 モノやサービスの価値-値段 が、プラスなら得、マイナスなら損、イコールならトントンとこんな感じのことを。
僕はまずこの差分評価をしない。 モノやサービスの絶対価値だけを評価する。
そして絶対価値を評価する際は値札を外す。こういうやり方をしている。
モノやサービスの価値は値札を外したほうが、価値そのものがよく分かる。
タマネギを例にしよう。スーパーで1個80円くらいだ。
まずはこのタマネギを80円のタマネギとして見た場合、どうなるだろうか。値札をつけて見た場合だ。80円の価値のタマネギとなる。
この値札を取ったらどうなるだろう。値段でなく、このタマネギの価値そのものを考えてみる。このタマネギが持つ、歴史(手間といってもよいかも)や特徴や提供できる内容によってその価値を評価する。多少、観察力は必要ではある。
僕ならこう考える。
まずは歴史から。埼玉県のスーパーで僕の目の前にいるタマネギは北海道産と書いてある。北海道からやってきたのだ。北海道の畑で育ち、太陽の光を沢山浴びて、野球のボールくらいの大きさまで育った。自然の力により、小さな種から大きく立派なタマネギに育った。これだけでもすごいことである。
その後、農家の人に収穫され、トラックの運転者が長時間かけて運び、埼玉まで運ばれてきた。手間もかかっている。
人間だけでなく、モノにも歴史があるのだ。
次にこのタマネギの特徴や提供できることを考えてみる。
まずタマネギは健康的な食材だ。血液をサラサラし免疫力も上げる。次にタマネギは使える料理の幅が広い。生でも食べられるし、野菜炒めでも、味噌汁に入れてもよい。料理で扱いやすい。さらにタマネギは保存もしやすい。僕は大体タマネギを半分に切り、半分をすぐ使って半分をラップにくるんで冷蔵庫に入れて保存する。1人1回の食事では半分くらいがちょうどよいのだ。この時、残りの半分はけっこう長持ちする。鮮度もなかなか落ちない。加えてタマネギは球体だから、変則的な形をしている芋などより包丁も扱いやすい。皮も簡単にむける。
こんな感じだ。タマネギにはこんな価値がある。
僕はタマネギを80円の価値のタマネギでなく、こんな価値のタマネギとして見る。値札を外して見たほうが、モノの価値そのものが、よく分かる。
これはサービスにも当てはまる。僕がよく行くマッサージを例にしようと思ったが、長くなるのでやめておく。
例は省略するが簡単にいうと、マッサージを6千円のマッサージとして見ると6千円の価値のマッサージとなる。値札を外して、サービスそのものの価値を考えると、もっと多くのものを受けていることがよく分かる。
そしてこの後説明するが、このモノやサービスのそのものの価値は、値段が適切であれば、そのものの価値のほうが大きくなる仕組みとなっている。
値段で価値を測っている人は、本来の価値より低い価値しか感じていないから、それによって満足度を下げるという損をしているのだ。
値札を一度外してみて、自分が受けているモノやサービスを考えてみてはどうだろうか。きっと思っている以上に沢山のものを受けているはずだ。
単純に労働時間と比較してみる
タマネギの例に戻ると、タマネギは1個80円である。80円を稼ぐためにどれだけ働かないといけないだろうか。時給800円のバイトでも6分である。
80円のタマネギを買うということは、6分の労働とタマネギを交換したという見方もできる。6分の労働の価値と、こんな価値のほうのタマネギの価値はどちらが大きいだろうか。 僕はこんな価値のほうのタマネギ だと思う。手間もかかっている。
自分のお金を払っているという感覚がないほうが、モノやサービスの価値を絶対価値として受けやすい
そろそろ、結論に近づいてきた。
自分のお金を払っているとう感覚があると、どうしても差分評価をしがちだ。自分のお金に執着があるから払う金額(つまり値札)にも縛られる。僕は自分のお金を払っているとう感覚なんか捨ててしまい、今受けている絶対価値のほうだけを見ればよいと思っている。
そもそもそのお金は自分のお金か
仏教には、自分の家や体さえも天からの借り物であり、自分のものではないという考え方がある。その考え方に従えば、自分のお金も天からの借り物であり、自分のお金ではないということになる。
お金を支払うということは、天から借りている自分のものではないお金が他の人のところに移動したにすぎない。この考え方もよい。しっくりくる。
モノやサービスと交換するためにお金を払った時に、自分のお金を払ったと思うか。僕は思わないのである。
補足
補足を少し書き足す。
値札の話は人へも応用が利く。人にとって値札とは、偏差値や肩書きなどのことである。
人を偏差値や肩書きで見ると、偏差値50の人や、〇企業の部長の人と、それだけの人になってしまう。しかし値札を外して見ると、その人の歴史(育ちや趣味歴や職歴など)や特徴(人柄や能力)など、より沢山のことが見えやすくなる。
僕はそういう見方をしたほうが、面白いのではないかということを提案している。
賛同するかしないかは自由である。あくまで参考意見である。
以上。