足るを知る。老子の言葉である。成熟した資本主義社会、SDGsを目指す世界に、必要な考え方と思う。GDPはその性質上、足るを知らない。GDPがベースにある資本主義社会に不足するものが、「足るを知る」である。老子の言葉から、現代の資本主義社会に不足するものを考察し改善点を探る。足るを知り幸福感を感じる社会について記載する。
足るを知る。現代の行き詰り感のある成熟した資本主義社会に不足しているもの、消費により期待するほどの満足感が得られないことに対する、何かを変えるヒントがあるのではないかと数年前から注目している言葉である。
1.「足るを知る」の意味を考察する。
1.1.言葉の語源
この言葉は、中国古代の思想家、老子の言葉である。
老子は中国古代の代表的な思想家の1人で道教の人だ。
中国の思想家としては、孔子も有名である。孔子は儒教の人だ。
対比すると、孔子が礼節などの人間社会を扱うのに対し、老子は自然や宇宙を相手にしている。人間は自然の一部くらいの扱いである。スケールが大きい。
老子は自然を愛し、自然から道理を学び、言葉にしている。僕とは相性がよい。思想がシンクロする。
孔子派か老子派かと問われれば、僕は老子派だ。
1.2.前提条件
1.2.1.考察対象
本記事の対象は資本主義社会における生産活動、消費活動、経済活動に関するものとする。
例えば、僕には知的好奇心があり、知れば知るほど知らないことが増えて更に知りたいことが増える。知的好奇心について、足るを知らない。これは問題とならないし、本記事の対象としない。
アスリートは、その競技の向上や追及において、足るを知らない。これも問題とならない。足るを知るべきでないと思う。
また、「足るを知る」を考察する時、条件がないと扱う範囲が広すぎて、結論がまとまらない。
数学の証明問題でも、論理展開が同じでも、前提条件が異なれば、違う結論が導かれる。
僕の記事には考察の前に、よく前提条件が出てくるのも、そういった事情がある。
本記事の対象は資本主義社会における生産活動、消費活動、経済活動に関するものとする。
1.2.2.社会と経済の状況
次の前提条件として、本記事は、成熟した資本主義社会を対象とする。
例えば、日本の高度経済成長期や、経済が発展途上にある状況では、まだこの言葉は必要ないと思っている。もっとさらに豊かになったほうがよい。足るを知らなくてよい。
日本の場合では、バブル崩壊を転換点として、成熟した資本主義社会へ向けて、社会をよい方向に方向転換できればよかったのかもしれない。1990年頃のバブル崩壊後、日本社会はその在り方について迷走を続け、失われた〇年を継続中である。暗中模索中なのかもしれない。そろそろ出口を見つけてもよい気もする。
1.3.僕の解釈
「足るを知る」だけだと、ちょっと漠然とする。
この言葉の僕の解釈を示す。
僕の解釈は、アイヌ文化の精神と同じだ。
つまり、「必要な分だけを生産し、必要な分だけを消費すればよいのではないか」
ということである。
現代の日本資本主義社会は、必要以上に生産しようとして、必要以上に労働し、必要以上に消費して、本来の自分の人生を生きるための時間が残らないというパラドックスに陥っていると考える。
「足るを知る」という言葉の力を借りて、このパラドックスから抜け出し、少しでも人生の時間を取り戻すことを、この記事では提案したい。また、SDGsなどの地球資源の問題や、デフレ脱却にもプラスとなることも示したい。
《参考文献(アイヌ文化、ネット調査)
大自然と共に生きるアイヌは、動植物、生活の道具や家、山や湖などの自然と自然現象のそれぞれに「神(カムイ)」が宿るとして敬い、人間も自然の一部であると考えています。神である自然は、アイヌの暮らしに欠かせない存在です。狩猟や漁労にあたっては、必要な時に必要な分だけしか取らず、他の動物たちのため、来年のために自然の中に残しておきます。このように、アイヌは大自然と共生し、多くの神に祈り、感謝をささげながら生活してきました。
――ここまで参考文献》
2.GDPは足るを知らない
2.1.GDPとは
GDPとは、Gross Domestic Product(国内総生産)の略で、1年間など、一定期間内に国内で産出された付加価値の総額で、国の経済活動状況を示す。
付加価値とは、サービスや商品などの販売価値から、原材料や流通費用などを差し引いた価値を示す。例えば、小麦粉を150円で売った場合、作るのにかかった小麦などの原材料価格が100円だった時には、付加価値は50円となる。
2.2.GDPの内訳
日本のGDPは年度によって多少変動はあるが、概ね以下のような内訳となる。つまり、消費が多くを占める。詳細はgoogleでも検索できる。
《GDP内訳
個人消費:55%前後
政府消費:20%前後
公共事業、民間設備投資:23%前後
その他:2%前後
――ここまで》
2.3.GDPは足るを知らない
GDPは足るを知らない。
沢山生産し、沢山消費することが、GDPの目標となる。
資本主義社会では、経済力の指標としてGDPがよく使用される。
GDPが多いほど経済力があり、豊かで強い国とされる。
GDPを増やすためには、大量生産と大量消費が、正義となる。
それは一方で「足るを知らない社会」でもある。
3.足るを知らない社会で今起きていること
「足るを知らない社会」で何が起きているか考えてみたい。
3.1.長時間労働と自分時間の減少
必要以上のものを生産し、必要以上のものを消費している。
必要以上のものを生産するために、必要以上に労働している。長時間労働である。
長時間労働により、本来の人生に費やすべき自分への時間と労力が減少している。
3.2.必要以上の経済活動
「本当に必要だろうか」「健康的で文化的な生活に必要だろうか」と疑問に思う経済活動が多くある。
例えば、
・24時間営業がこんなにも必要だろうか。もう少し対象を縮小してもよいのではないか。
・高齢化社会に向けて膨大な医療費が予測されるが、薬や医療はそんなに必要だろうか。自己免疫や自然治癒力にもう少し頼ってもよいのではないか。
・自家用車をこんなに使う必要性があるのだろうか。制限時速30km以下の生活道路まで車だらけである。歩けば健康にもよいのではないか。
など。
3.3.必要以上の資源の消費
24時間営業などをするために、必要以上の電力が必要となる。
必要以上の電力のために、必要以上の発電が必要となる。
必要以上の発電のために、原子力発電やCO2を出力する火力発電が必要となる。
必要以上の車のために、必要以上の石油が必要になる。
必要以上の地球資源が必要となる。
それらは本当に必要な経済活動だろうか。減ってもよいものもあるのではないか。
3.4.デフレの原因になっていないか
日本社会は長らくデフレから脱却できていない。
失われた20年から30年になろうとしている。
農作物などは、豊作の年は、あえて処分して流通量を調整する。
大量に流通すると、需要と供給のバランスが崩れ、価格が下落するからである。
僕は、経済学の専門ではないが、沢山生産し過ぎることが、デフレの原因の1つになっていないかと疑ってしまう。
3.4.総括
総括すると、努力しているようで多くが空回りしている。何故か豊かにならない。満足度も幸福度も高くならない。アイヌ文化のように、「足るを知る」ことに学んでもよいのではないかと思う。
4.足るを知る社会へ
「足るを知る社会」になると、どうなるか考えてみたい。
4.1.1.労働時間が減り、自分時間が増える
「足るを知る社会」では、必要な分しか生産しない。労働も必要な分だけになる。
そうすると、個人の時間、自分時間が増える。
別の記事「時間について 普遍的時間軸と社会的時間軸」の話の続きでいうと、
普遍的時間軸が増え、社会的時間軸が減る。
「人はパンのみに生きるにあらず」と言いながら、必要以上のパンを生産すために、「パンのみに生きるハメ」になっているのが、現代の「足るを知らない社会」であると考える。つまり、「足るを知る社会」では「パン以外で生きる時間」が増える。
4.1.2.生産が減り、物の価値が上がる
デフレもそうだが、大量に生産するほど、希少価値は下がる。
生産量を抑えることで、生産物の価値が相対的に上がる。
量を増やすのでなく、質を上げる社会である。
物が溢れすぎると物の価値が分からなくなる。
食事もそうだが、腹八分目くらいの量にしておいたほうが、物の価値もよく味わえる。
4.1.3.生産と消費が減り、資源の使用が減る。SDGsに向けて。
生産が減ると、必要な資源も減る。省エネできる。
電気の使用量も減る。電気を作るための、火力や原子力も減る。
石油の使用量も減る。CO2排出量も減る。
「足るを知る社会」は、SDGsの答えの1つにもなっている。
また、消費が減るとゴミも減る。河や街が綺麗になるかもしれない。海洋プラスチックも減るかもしれない。これもSDGsの1つである。
5.結論
「足るを知る」は、成熟した資本主義社会、SDGsを目指す世界に、必要な考え方と思う。老子の言葉だが、僕の解釈を紹介してみた。
以上。