最近、実家から僕の少年の頃のアルバムや文集などが送られてきた。
僕の実家では、何やら断捨離のようなことが始まっていて、昔の物の整理をしている。僕に関する物についてどう整理したらよいかという問い合わせがあったので、そのまま段ボールに詰めて送ってもらえば、自分で整理するとそう回答した。
少年の頃について、ちょっと思い出したので、遊びのことを書こうと思った。
僕が小学校時代にやっていたことは、遊びしかない。
勉強はあんまり注力していない。
書けるとしたら遊びのことしかない。
僕は遊びを大切にも思っている。遊びの大切さについて、少年の頃のエピソードを交えながら書きたいと思う。
遊びの重要性
まず最初に遊びの重要性を書いておきたい。
僕は遊びを大切に思っている。これは、小学生の時も今も変わらない。
僕はとてもよく遊ぶ。小学生の頃もよく遊んでいたし、大人になった今もよく遊んでいる。沖縄で遊んだり、北海道で遊んだり、外国に行ってまで遊んでいる。
僕は暇だから遊ぶのでなく、遊びを大事にしているからよく遊ぶ。
遊びと創造性との関連
遊びと創造性は関連することが多い。
遊びが上手い人は創造性が豊かな可能性が高い。
僕は昔も今も遊びまくっているが、そのことはよく理解している。
誰よりも遊んでいる僕は、遊びのことはよく知っている。
上手く遊ぶには、創意工夫や、試行錯誤や、試した結果をデータとして集めて分析したり、数学の帰納的な思考もよくやる。これらは創造性で求められるスキルでもある。
上手く遊ぶと、そういう創造的な能力が磨かれる。
遊びの内容については、単純な遊びでは、創造性は磨かれない。
例えば、単純なシューティングゲームなど、創意工夫のない遊びは、創造的なスキルの磨きにならない。遊び内容の選択も重要である。
良い遊び
僕が考える良い遊びを示す。
自分の頭で考える
これが一番大切である。誰かに習うのではなく、自分の頭で考える遊びがいい。やり方を教える人がいないほうがよい。例えば、スポーツでいえば、僕がコーチから野球を教えてもらうより、コーチがいないキックベースなどの遊びのほうがよい。
上手くなるために、自分の頭でやり方を考えたり、試行錯誤したり、その結果を分析したり、そういう遊びのほうがよい。教えてくれる人がいると、そういった創造性を磨く大事な過程が省かれる。
創意工夫がある。
単純な遊びでは創造性は磨かれない。あれこれ試したり、創意工夫をするような遊びのほうがよい。
自然と触れ合う
自然と遊ぶと自然から多くのことを学べる。遊ぶと同時に学びにもなる。
体を動かす
TVゲームのように指だけ動かす遊びより、かけっこやドッチボールなど、運動もする遊びのほうがよい。運動すると頭がよくなる。
このことは、経験でも体感している。僕は運動したほうが頭が冴える。運動をしなかった中学校時代や浪人時代より、運動していた小学校時代や高校時代のほうが、頭が冴えていた。このことは、脳神経科学でも説明されているし、哲学者のプラトンの言葉にもある。参考文献も記載しておく。
《参考文献(脳を鍛えるには運動しかない! 著者:ジョンJ.レイティ)》
《参考文献(プラトンの言葉)》
人生において成功するために、神は人にふたつの手段を与えた。教育と運動である。
しかし、前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよということでない。その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。
このふたつの手段によって、人は完璧な存在となる。
小学校時代の僕の遊び
事例として、僕の小学校時代の遊びをエピソードにして説明する。
僕の小学校の頃の遊びはこんな感じだ。
ドッチボール、キックベース、野球、野原でのかけっこ、鬼ごっこ、昆虫採集、ザリガニ釣り
キックベースを例にする。
キックベースとは、サッカーと野球を組み合わせたような遊びだ。ピッチャー相当がサッカーボールを転がし、バッター相当がボールを蹴る。バッター相当はボールを蹴ったら一塁に走る。蹴ったボールを野手が取って一塁に投げる。後は野球と同じルールだ。ランナーが、ベースを一周して帰ってくれば得点が入る。
この遊びでは、ボールを遠くに蹴れたほうが有利だ。ランニングホームランになることもある。僕はボールを遠くに蹴るために、どうしたらよいか考えて、それを試し、上手くいく場合と失敗する場合のデータを集め、そのデータを分析して、上手く蹴るための秘訣が何なのかを探る。蹴る方向や蹴る角度、ボールを蹴る力の伝え方などを変えて試してみる。これかもと思った方法を試して蹴ってみる。上手くいかない場合は、これではなかったのかと別の方法で試してみたりと、実験結果を積み重ねていく。そうやって、色んなやり方を考えて試行錯誤し、集めたデータを分析し、ダメならさらに違うやり方を考えたり試してみたりと、上手く蹴れる方法を見つけるために創意工夫する。
こういう頭の作業は、創造性のスキルを高める。頭の中でやっていることが、創造的な作業と似ているのだ。
小学校の勉強は、どちらかというと単純作業だ。同じ漢字を繰り返しノートに書いたり、足し算、掛け算などを沢山やっても、創造性のスキルは向上しない。
ザリガニ釣りを例にすると、
川のどの場所の、水面のどの深さに、エサを置いたらザリガニがよく釣れるか、過去のデータもふまえながら、創意工夫して上手く釣れる方法を探ったり、たくさん釣れる場所を推測したりする。
自分の頭で考えることが重要だ。誰かが教えてしまったら試行錯誤も創意工夫もしない。
このように、遊びは創造的な知的活動と似たようなことをするから、創造性のスキルが向上する。
遊び上手な子供は、創造性豊かな大人になる見込みがある。
小学校の担任先生からの、当時のボクの評価はこうである。
「この少年は遊び上手である。クラスで一番よく遊ぶ」
僕はこの評価を待っていた。僕の小学校時代の一番の目標は、よく遊ぶことである。
僕がちゃんと目標を達成できていると、先生が公式に認めてくれているのである。
僕は少年の頃から、遊びの重要性はよく分かっていた。頑張って、遊びに精を出していたのである。
僕の小学六年生の時の文集
実家から送られてきた段ボールの中に、小学校六年生の時に僕が書いた文集が入っていたので読んでみた。結構、良いことが書いてあるので参考に写真をアップする。
氏名は先頭1文字以外は伏せる。個人名が特定されないように隠れる。
この文集を読むと、色々いいことが書いてある。
まず課題の設定がよい。なんだか、SDGsっぽい。
次に自分なりに原因分析をしてるところもよい。
考えている時間軸の幅も広い。目先のことだけでなく、長期的スパンで物事を考えている。原始時代から500年先の未来のことまで案じてくれている。
日本の現状を、外国との比較でとらえている点も視野が広くてよい。
一億何万人というのは日本の総人口のことと思う。日本国民全員に、水の大切さをうったえかけているようだ。国民の意識を高めようとしているのだろうか。
この少年は自然と遊ぶことが大好きだったから、自然と遊びながら、人間や動植物にとって、水が一番大切であることをしっかりと学べている。少年の書いた文集からはそううかがえる。
水の大切さ
今はブログという便利なものがあるから、大人の僕も水の大切さを書いておこうと思う。
水は循環する
水は恵の雨として森林に降り注ぎ、土にしみこんで植物が水を吸って成長する。
土にしみこんだ水は川に集まり、田畑に水を供給する。
川の水は、鳥の飲み水になったり、ザリガニや魚の住処となる。
川の水はやがて海に流れ込み、海の多種多様な生命の住処となる。
海の水は蒸発し、雲に形を変えて、空を移動し、森林のところに帰ってくる。
そこでまた、恵の雨となり森林に降り注ぐ。
こうやって、水は姿を変えて、自然の中を循環しながら多くの生命に恵を与えている。
水がないと、食物連鎖が始まらない
水がないと植物が育たない。植物がいないと食物連鎖がスタートしない。
地球は水の惑星
地球は水の惑星と、水に形容されている。
宇宙飛行士は宇宙から地球を見て、地球は青いと言った。
その青いものは、海であり水である。
少年は人間が生きていくのに一番大切なものは水だと言っている。
少年の言う通りである。
最後に
小学校時代によく遊んでくれた少年のボクに一言お礼を言って、この記事を終わりにする。
少年のボクへ
君がたくさん遊んでくれたおかげで、上手に遊んでくれたおかげで、僕は頭のよい、地頭のよい大人になれた。どうもありがとう。
以上。