資本主義社会の課題として感じること

資本主義社会について、感じる課題を言語化してみる。現在の日本社会は資本主義社会であり便利なこともある一方で、何んとなく生きづらい面もあるのではないか。資本主義の観点から日本社会の課題について考えてみる。

1.資本主義社会の課題

一言で言うと、「過剰」というワードが思い浮かぶ。ちょっとやり過ぎではないかと思うことがある。例えば、24時間営業の店が多過ぎないか、物やサービスが多過ぎないか、労働時間が長過ぎないか、労働者への要求が多過ぎないかなど。

おそらく、資本主義はその仕組みから、資本が増大していくものであり、良くも悪くもGDP的な成長を強いるのかもしれない。しかし、その過剰となった活動が、自然環境や労働者の負荷を増やし、耐えられなくなる面もあるのではないかと思う。生産と消費と労働を断捨離的に見直し、必要なものは残して、もっと時間的にゆとりのある生活でもよいのではないかと、個人的には思う。

1.1.過剰生産

資本主義社会は、沢山の商品を売り利益を上げることを目指す。他社との競争もある。利益追求と競争の原理から、生産が過熱することは仕組み的な特徴かもしれない。

1.2.過剰消費

資本主義社会では、利益を上げるために、できるだけ物を売ろうとする。広告や営業活動により、消費を促す。消費者は、情報に流されて必要以上に買ってしまう。また仕事のストレスから、過剰な消費でバランスを取ることもある。そのような理由から、必要以上に消費する傾向があると思う。

1.3.過剰労働

過剰な生産を維持するためには、労働者に求められる労働が過剰となる。また労働者は過剰な消費でお金がなくなり、過剰に労働する必要もある。

過剰な労働により、平日は朝から晩まで仕事に費やされ、休日が労働の疲れやストレスの回復期間となると、労働以外のことをする余力が残らないのではないか。

1.4.労働者の高齢化

高齢になっても働く人が増えている。高齢化社会だからと言ってしまえば、それは背景の1つかもしれないが、過剰な生産や消費を維持するために、高齢になっても働き続ける面があるのではないか。

2.改善案

2.1.経済的断捨離と、身の丈にあった生活レベル

消費活動を断捨離するために、ミニマリスト的な考えを生活に取り入れても良いと思う。自分軸で必要有無をよく考えて、必要以上に物を増やさない。

必要以上の例として、例えば不安から必要以上に保険に入ったり、見栄で身の丈以上の家や自動車を保有したり、健康不安から必要以上に薬品に頼ったり、などが考えられる。経済的に断捨離してみると、生活に必要な費用は思ったより少ないかもしれない。何が必要かは、個人の価値観によって違うので、自分軸の判断でよいと思う。

また、日本社会は高齢化や労働人口減少の観点から、GDP的には先進国から後退していくと思われる。それに抗うために、無理をしてまで労働を増やすより、物質的に身の丈にあった生活レベルに変化させてもよいと考える。

むしろ、経済的な豊かさはほどほどにして、精神的な無形資産的な価値(文化、教養、芸術、道徳、健康等)の豊かさを重視すればよいのではないかと、個人的には思う。

2.2.経済規模の縮小と景気の維持

生産量と消費量を抑えると、景気が悪くなり社会が不幸になるのではないかという見方があるかもしれない。景気が悪いとは、物やサービスの循環が悪くなった状態のことと考える。景気は、経済規模の全体量より、循環の要素が大きいと思う。

ここで提案したいことは、不要なものや必要以上の生産と消費を見直すということであり、社会に必要なものについては、生産と消費の循環は回ればよいと思う。経済的循環は否定しない。

労働資源に限りがあるなら、経済規模に含まれる不要な産業や不要な会社は淘汰され縮小したほうがよいと考える。

3.期待する効果

3.1.ワークライフバランスの改善

必要な労働力が減ることで、労働時間が減り、余暇が確保できる。労働以外に人生でやりたいことがあれば、両立がしやすくなる。

やりたいことを定年後や老後にとっておいても老化の問題もあるから、出来ずに終わる可能性がある。労働と労働以外でやりたいことは、両立できたほうがよい。

また必要な労働力が減ることで、高齢者が無理して働く分を少し減らせるのではないかと思う。

以上。